11月 03

選ぶ力/ムダなものがないなかで暮らしているおかげ。

 
平日はルーチンワークのように買いものしているスーパーですが
休日はちょっと足を延ばして遠くのスーパーや道の駅へ。

いつも行く近所のスーパーでは扱っていない食材が
けっこうあって、家族とごちゃごちゃしゃべりながら
ゆっくり回る買いものをたのしんでいます。

 
家族それぞれが食べたいもの、欲しているもので
何となく体調といいますか、調子を感じ取ることもできますし

食材をみて、こんな料理はどうだろう、味付けはどうだろうと
いろいろ喋りまくる。

スーパーに行くだけなのに、そんな時間が楽しくてたまりません。

 
以前はムダなものを買われたらあかん、と思い
必要なものだけ買って、サッサと買いものをしていたのですが

今は
ムダなものを選ばないよう、
使いきれる量だけにするよう、
家族それぞれが意識して選ぶことができるようになっています。

 
おそらくそれは
すでにムダなものがないなかで暮らしているおかげ、だと
わたしは確信しています。

これからもたのしみつつ持たない暮らしを続けていきます。

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10月 31

「いったん手放してみた」その姿勢にわたしは惹かれた。

 
期限切れのものや使い切ったものは、たやすく捨てられるけど
そうでない微妙な立ち位置のものはなかなか捨てづらいです。

 
たとえば。
冷蔵庫のなかで賞味期限は大丈夫だけど
食べごろをとっくに過ぎたものを発見したときや

ついさっきまで使っていたものだけど
整理整頓や替えることで、使わなくなったものなど

いらなくなった時点で手放すことはなかなかありません。

 
ひとまずとっておいて、様子をみて、しばらく経ってから手放す。
そんな段階をふんでいました。

 
でも今はちがいます。
いらなくなった時点で、ひとまず手放してみるようになりました。

それは、最小限のもので暮らしている人のブログで
「いったん手放してみた」ということが頻繁に書かれていて
その潔い姿勢に惹かれたのです。

いったん手放してみて、必要ならまた手に入れる。
そんな流れをもった暮らしをしておられます。

 
よどみのない暮らしは、わたしの目指す暮らしでもあるので

ひとまず手放すことは
より身軽になるためのアプローチになりそうです。

 
必要でなくなった時点で、いったん手放してみる。
これから弾みをもって続けていきます。

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10月 29

持たないほうが、不安は最小に幸せ感は最大に。

 
世の中的には
 大きな家、広い土地、
 大きな車、高級車、
 高級家電、
 大勢の仲間や友達、
 大家族、
 よりどりみどりの服やかばん、アクセサリーに靴、
 高級取り、大金、など
より大きく、多ければ、高ければ、と
もっともっとという上昇する幸せがしあわせなように思われています。

かつてわたしが会社勤めしていたときも
わたしも周りもそんな感じでした。

そんな価値観のなかで、ない、となると
すごく情けなく、かわいそうな人みたいでした。

もっと、もっと、という気持ちばかりでどんどん追い求めていましたし
一方で、なくなる、ない、ことに対してひどく不安を持っていました。

 
でも、意を決して、勇気をだして、一つずつ手放していき

持ってる、よりも
持ってない、ことのほうがだんだん多くなってきてからは

もっと、もっと、という気持ちのベクトルは上昇とは逆の縮小に。

ないことの不安はいつの間にかほとんどなくなり
ないならないで、なんとかなる、という境地になりました。

 
持たないなかにも、小さな幸せはいっぱいあります。

毎日のごはん作りは創作エンターテインメントのように楽しみ
家族そろってごはんを食べ、しゃべりまくる時間。
好きなこと、やりたいことを仕事にしてお金を得る充実とやりがいの時間。
大切な人たちとのたまのランチやお茶、飲み会の時間。
コンビニやスーパー、郵便局、薬局などの馴染の人たちとのちょっとした会話時間。
できるだけ最小限でいられるよう、家を整える時間。
こうやってブログを書いている時間。

 
たくさん持ってるときよりも、多くを持たない今のほうが
幸せ感は強いです。

それは、わたしの場合
たくさん持っているときは他者と比較して幸せかどうか判断していたような気がします。

でも今は
幸せの基準は、他者と比較することよりも
自分のなかで、今、幸せかどうか自問自答しながら時間やお金をつかうようになっています。

 
こんなふうな幸せ感が続くよう、
これからも持たない暮らし、コンパクトに生きることをつづけていきます。

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10月 27

“今”使うものだけを持つようになったら、“今”生きてることを実感する。

 
持たない暮らしでしなくなったこと、といえば
これ、何かに使えそうと思いながら
ものを持たなくなった、買わなくなったことです。

 
これまでたくさん捨ててきたなかで
何かに使えそうと思い、買って持っているものがわたしは多かったです。

ラッピングに使えそう
便利に調理できそう
大勢の人が来たときに活躍しそう
いつか使えそう、と。

その時、使えそうと思って買ったものでも
そのままずっと使わなければ、結局家のなかでは不要物、死蔵品になっていました。

しかもすごい量で、“今”使っているものよりも“今”使っていないもののほうが
圧倒的な多さだったと思います。

 
でも、本当にたくさんの使えそうなものを、勇気をだしつつ捨ててから

何かに使えそうなものは持たず
“今”使うものだけ持つようになりました。

もちろん新しくものを買うときにも
使えそう、だけでは、もう買わなくなっています。
(さんざん捨ててきたので、たとえ買えるお金があったとしても
買えない心持ちです)

持つ基準も、買う基準も、“今”使うかどうか。

そんなことを意識しながら、持っているものたちは
死蔵品はなく、もの自体も生き生きしているように思えるほどになりました。

 
そしてわたしのほうは
“今”わたしはこれを必要としているんだっていうのが
自分のなかでちゃんと把握できているので、
(逆に言えば、今必要ないものも把握できることにもなります)

そのことが
“今”この瞬間を自分の手のなかでちゃんとつかまえながら、生きているようにも思えてきて、

さらに
“今”このときをしっかり生きてるんだな、という気持ちに
自然となります。

 
今を生きてるのを実感できることは、わたしにとってはすごく幸せな気持ちにさせてくれます。

生きたいように生きるためにも、持たない暮らし、コンパクトな暮らし
このままつづけていきます。

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10月 24

お気に入りのものでも、全部使うだけの時間はない。

 
気に入ってないモノや明らかに必要ないと思えるモノは手放して
お気に入りのモノ、好きなモノはとっておく。

モノを減らしていくなかで
そういう見極め方をしていくことがあります。

  
わたしの場合は
布や手芸材料で気に入っているものが本当に多くて
今考えるとおそろしいくらい、たくさん持っていました。

布や手芸材料は食べものや流行ものとは違って
ずっととっておいても問題はなく、置き場所さえ確保できればいいと思っていたので

気に入ったものがあれば
迷うことなく、次々と気軽に買っていました。

 
いずれ使うであろう、という意識よりも
好きなものは買う、という思いが強かったと思います。

そんな感じで買い続けていたら。
布のストックは押入れ一間分いっぱいになるほど持つようになっていました。

 
そのうち今度は、だんだん苦しくなってきました。
押入れのなかが布のストックであふれていることに。

好きな布がたくさんあってうれしいはずなのに
なぜか心がざわつくのです。

それは
気に入っている布でも、全然使ってないままの布も多く
そのことが心のざわつきの一因でありました。

 
たくさんあっても、ちゃんと使いまわして循環させていればよかったのですが
コレクションのように、ただ持っているだけの布が多くなって
そのことが自分の意識下で負担になっているようでした。

 
循環できていないのは
いくらお気に入りのものでも、全部使うだけの時間がないからだ
ということに気づいたのです。

コレクションとして持つことが好きなら、使ってなくても持っていたと思うのですが
わたしはそうじゃありませんでした。

 
それなら。
自分が本当に使っている、とっておきの布だけ残して
あとは思いきって手放そうと思いました。

気に入っているものという思い入れがある分、手放すときには
一気には手放せず、何回か段階をふみながら減らしていきました。

そんな感じでお気に入りのものでもたくさん持たないようになってからは
ぎゅうぎゅうだった押入れ一間分のスペースに多くの空白ができました。

 
その空白は
心にぽっかりあいた穴のような空虚感ではなく

自分にとって本当に大切なものが見えている満足感と
負担に思うことがないという、心の余白につながっていると今はそう感じています。

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10月 13

たくさん持っているなかでの空虚感/持たないなかでの満ち足りた気持ち。

 
あれもほしい、これもやりたい。

自分で見つけたこと以外に、人からすすめられたことも興味のおもむくままに
どんどん買い、どんどんやる。

だけど。
コレだ!というのが見つからず、いつもなにかしら空虚感を感じていた
会社員時代をずっと過ごしていました。

 
趣味もそのときのつき合いによって、どんどん移り変わり
持っていたら幸せになりそうなモノを、買っても買っても何か満たされない気持ち。

安定した収入や地位があっても
家族がいても、いつも何かしらの答えを「外」に探し求めていたような気がします。

 
そんな生活がいやだなと思いつつも
どうしたらそんな生活から抜け出せるのか全然わからなかった当時のわたしが

たくさんのモノを少しずつ手放していくようになったのが10年前です。

 
きっかけは飯田久恵さんの『「捨てる!」快適生活』を読んだことです。

その本で、「捨てる」という感覚が180度ガラッと変わりました。

 
 
それまでは。
壊れたり、古くなったりして使えなくなったものを捨てる、という発想はあったのですが

不要なもの、いらないものを捨てる、という発想は
わたしにはありませんでした。

 
でも。
人生のなかで不要なものを、いらないものを捨てるというのがあってもいいんだと思えて

さらに
モノを通してこれからの自分の生き方を改めて考える機会にもなりました。

その結果
 ・やりたいことを仕事にする
 ・暮らしを整えて地に足がついた生活をする
ことが、自分の目指している生き方だと気づくことができたのです。

 
あれから10年。
今、やりたいことを仕事にすることができています。
忙しく仕事をしていながらも、毎日しっかりと暮らしを整えながら暮らすこともできています。

10年前と比べて
 モノは本当に少なくなったし
 贅沢な暮らしはしていないし
 会社員の仕事も手放して安定収入から不安定収入になったし

10年前持っていたものを、持たないようになったことが多いけど

気づいたらいつの間にかあの頃ずっと感じていた穴のような空虚感はなくなり
満ち足りた気持ちを今は持てています。

 
これからも自分がどうやって生きたいか見つめていきながら
持たない暮らしをつづけていきます。

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10月 09

捨てる勇気をだす/捨てたその先の景色。

 
わたしがモノを減らし始めたのは今から10年前です。

最初はあきらかにガラクタのような不要なものから手放したのですが
潔く捨てられるほうだったので、わりと難なく捨てることができました。

そうやって少しずつ少しずつ減らしつづけていくと家はけっこう片付いてきます。
パッと見た感じ、スッキリしている感じに。

 
でも、スッキリしているようでも、引き出しや戸棚、納戸や押入れのなかには
まだまだたくさんのものが入っているのです。

その頃は自分にとっての不要なものがどれなのか、だんだんとわからなくなっていきました。
(断捨離停滞期と呼んでました)

 
それでも。
捨てるスイッチを押してくれる本に出会ったり
モノがたくさん溢れている親戚宅で法事のお手伝いをしたりして逆にスイッチが入ったりして
刺激をもらいながら、捨ててよいものを見つけては手放していました。

そうやっていくうちに、当初の7割減らすことができたわけですが
それでも必要なモノ、暮らしを自らの容量に合わせたくて
まだ今も減らしつづけているところです。

 
捨てる・減らす・手放す・処分するのは
本当に勇気がいる、とモノが少なくなればなるほどますます強く、ときに痛く感じるようになってきました

ある意味苦しい作業であるかもしれないです。

それでも捨てるということを自らの意志で選んで行動しているのは
捨てたその先の景色を何度もみているからだと思います。

 
わたしの場合は、捨ててしまった罪悪感よりも

 気持ちがラクになったり
 空間が広がって清々しくなったり
 捨てようかどうしようか頭の片隅で思案していることからの解放や
 捨てたものを追う気持ちよりも、手元に残しているものを大切に思う気持ちが大きくなる

といったような
捨ててこそ感じられる解放感・充実感が何ともいえないくらい
自分自身をしあわせな気持ちにさせてくれます。

 
捨ててこそ得られる気持ちは

気持ちに余白が生まれて
仕事への活力になったり、暮らしを整えるフットワークの軽さにも
つながっていくのです。

なので。
これからも、捨てるのに勇気をだしつつ減らしていく生活をつづけていきます。

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10月 04

台所シンクは1個の石鹸で事足りる。

 
台所シンクでは普段、食器や調理道具の洗いもの、野菜を洗ったり
ときには扇風機の羽なども洗うこともあり、もちろん手もシンク自体も洗います。

 
ふつうの液体の食器用洗剤を実家では使っていたので
ずっと同じようにしていたのですが

ある時、石鹸で洗いものをしている人のことを知って
わたしも石鹸に変えてみたら予想外にこれがよかったのです。

 
一般的な食器用洗剤から石鹸に変えてみて

 ・水仕事が多い日だと指先が少しざらざらしていたのが全くなくなった。
 ・石鹸でも油切れが半端なくよいので、ゆすぎが少しで済む。
 ・野菜ジュース用の皮付き野菜洗いが安心して洗える。

などが良かった点です。

 
石鹸といってもお風呂で使うような贈答用によくある石鹸ではなく
無添加純石鹸・白雪の詩を使っています。

値段も安いので、気軽に使いつづけられるのがいいです。

この石鹸は台所用ではなく幅広く「洗う」ことに使えるので
体洗い石鹸や洗顔石鹸としても使えます。

DSC_0390

石鹸1個の台所シンクはものが並ぶことなく
シンク自体もササッと洗えるので以前よりもシンクが綺麗に保てるようになりました。

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2015.3.28 追記
●台所を石鹸1個にしてからは、もう5~6年経つでしょうか。
 たった1個でも必要十分なので、この先このスタイルは変えることがないかもしれません。

9月 30

持たない暮らしで、暮らしを整えてきちんと暮らす。

 
小さめの家に住み、少しだけのもので暮らし、近所のスーパーで
新鮮で安い食材を買ってきてのごはん作り。

そんな日常が繰り返されても贅沢をしたい気持ちにもならず
そんな日常そのものを楽しめているのが今のわたしの暮らしです。

 
大きな家に住んでいる人や高収入の配偶者、頻繁な沖縄旅行。
かつてのわたしが羨ましかったものです。

でも。人をみるより、自分をみて身の丈に合ったコンパクトな暮らしに
サイズダウンしていくうちに、どんどん満たされた思いになっています。

そう思い始めた当初は、たまたま?そんな気分になっているのかと思っていましたが
何年も経ち、手のひらでしっかりと握りしめているようなほど確かな思いなので
ものを捨てて捨てて捨てまくったおかげだと今は胸をはってそう言えます。

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高野文子さんの『るきさん』も持たない暮らしで、暮らしを整えてきちんと暮らしていて
かつ存分に暮らしを楽しんでいる主人公です。

読めば読むほど、味わいのある日常を送っているのが魅力の物語。

わたしにとってはシンプルライフや丁寧に暮らす雑誌や本に出てくる生活よりも
とても刺激を受けました。

 

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9月 29

買って後悔したものはたくさんあるけど、捨てて後悔したものはひとつもない。

 
10年前ものを捨て始めた当初は
捨てたものや日付などを一つひとつノートに記載していましたが

捨てるスピードや量が加速するにつれ、記録が追いつかなくなって
また記録する意味もわからなくなってきたので

捨てたものノートを書くのをやめ、ノートも手放してしまいました。

 
家のなか、そとをざっと見回して
当初の7割は捨ててこられたかと思います。

今となっては何を捨てたのか覚えてないものもたくさんあります。

 
捨てるとき。
何でこんなもの買ってしまったんだろうと買ったことを後悔したことは
たくさんありましたが

捨てたあと。
あれ捨てなきゃよかったな、と後悔したことは全くありません。

 
もしも。
少しでも捨てなきゃよかったものが出てきたとしても、
今あるもので代用できるものを見つけたり、考えたりすることが自然と得意になっているので
一瞬でも捨ててしまったことへの後悔はまた消えてしまうのです。

 
たくさん持っていたときよりも
今のほうが仕事がはるかに忙しくなっているにもかかわらず

部屋は整ってすっきりしているし
料理はちゃんと作れているし
睡眠時間を削ってまで仕事をしているわけでもない。

きちんと暮らしをして、仕事もできている。

不要なものを捨て、必要なものだけ選んで持つ暮らしをつづけていくことは
もうすっかり手放せなくなっています。

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2015.3.28 追記
●仮に今後もし捨てて後悔するものがあったとしても、
 捨ててしまったモノに執着する気持ちよりも、
 大切に思っていた思いに気づけたことがよかった、という気持ちのほうが大きいかな、と
 想像していますが、実際はどんな気持ちになることやら。